
就活中に色んな大人から言われたのは
「社会人になったら学生気分ではいられない。」
「社会人になる自覚を持って就活に挑むように。」
「社会人になる自覚を持って就活に挑むように。」
「立派な社会人になる為に必要なことは…」
などといいう、社会人を神格化したような言葉の数々でした。
それを聞きながら、「社会」の「人」と書いて社会人なのに、学生は社会人に含まれないのか?という違和感を覚え、そもそも社会人とはどういう意味なのか?が気になり調べて考察したことがあるので、今回はそれについてまとめます。
目次
- そもそも社会とは
- もともと輸入語である「社会」
- 社会とは人間の関係性
- 社会人とは?
- Wikiの定義と一般的な定義の乖離
- 学生が「社会人」と聞いて抱くイメージ
社会ってなんだ?
社会人という言葉を考えるときに、まずは社会という言葉の意味を把握する必要があります。私たちが暮らしている社会とは一体何なのでしょうか?
社会という言葉はもともと日本語にはなかった!
明治時代以降に西洋的な物の考え方が入ってくるまでは社会という言葉はありませんでした。
明治時代までは社会に相当する言葉としては「世間」や「浮き世」が挙げられます。
しかし、「世間」という言葉は現代でもよく使われますが、「社会」とは違った意味だと考える人が大半ではないでしょうか?
それでは、現代において「社会」とはどのような意味で使用されているのでしょう?
社会とは人間間の関係である
社会(しゃかい)は、人間と人間のあらゆる関係を指す。社会の範囲は非常に幅広く、単一の組織や結社などの部分社会から国民を包括する全体社会まで様々である。社会の複雑で多様な行為や構造を研究する社会科学では人口、政治、経済、軍事、文化、技術、思想などの観点から社会を観察する。”
Wikipedia
そこにもともと社会があるのではなく、そこに2人以上の人間がいて、かつ相互に影響しあう事で関係が構築され、この関係の在り方が社会の在り方を規定するのです。
そう考えると「社会に出たら」という言葉は日本語はおかしな日本語に聞こえます。
なぜなら、社会とは人間の関係であるならば、いかなる人間も社会の一員だからです。ではなぜ「社会に出る」や「社会人」という言葉が使われるのでしょうか?
それは、この「社会に出る」や「社会人」という言葉の前提となる「社会」が、経済的な意味範囲での部分社会を前提にしているからなのです。経済システムの中で社会(全体社会)に貢献する仕事を行い、対価としてのお金をもらっている人たちを「社会人」と呼び、その行為をしている状態が「社会に出ている」ということなのではないでしょうか?
社会人ってなんだ?
さて、ここまでは社会という意味の確認から、それに基づいて「社会に出る」「社会人」はどういう意味なのか確認してきました。
ここで使われる「社会」は限定的な部分社会だろう、という結論になりましたが、では、「社会人」という言葉自体はどう定義されているのでしょうか?また、一般的にどう考えられ、学生目線ではどう定義づけされているのでしょうか?
社会人の定義を再考
まずはWikipediaの定義を確認してみましょう。
社会人(しゃかいじん)は、社会に参加し、その中で自身の役割を担い生きる人のことである。一般的には学生は除外される。 ただし一部の学生も社会人と呼ばれる場合がある。
Wikipedia
なんとなく意味は分かりますが、社会の定義がないことと、なぜ一般的には学生は排除されるかの説明がないため、腑に落ちません。この点では、上記で検討した定義のほうが的確ではないか、と思わざるを得ませんね。
つまり、社会人とは本来の言葉の意味としては「(全体)社会に所属し、他者との関係の中で生きている人」の意味で、フリーターでもニートでも学生でも、社会人でということです。
しかしながら、一般的な使われ方は学生対社会人の文脈で使用される
「企業に所属して会社の為に働くことで社会に貢献し、お金を稼ぐ人」
というような意味合いなのではないでしょうか?
学生が「社会人」という言葉に抱くイメージ
では「企業に所属して会社の為に働くことで社会に貢献し、お金を稼ぐ人」である「社会人」になるのが怖いという学生が多いのはどうしてでしょうか?
まず補足をすると、ここでいう学生は主に就職活動を控えた大学生のことを指します。
就職活動を始めた学生がまず言われるのは「学生と違って社会人には責任が伴う事を心得ておきましょう」ということです。大学(学校)という治外法権では何でも許されたが社会人になったらそうはいかないぞ、と。
しかし、自分の人生に、選択に責任を持たなければならないのは学生も一緒だし、学生の中にも社会に貢献する活動を行っている人はたくさん存在する。
ましてや学生がなんでも許されるという考え方こそが不健全な考えなのではないでしょうか?
しかしながら、企業側(社会人たち)が採用活動を行い学生側が雇われる=選ばれる側という権力構造の下、社会人のほうが学生より優れている・偉い、というような考え方が学生には芽生えてしまう。
そして、このシステムからこぼれてしまった学生が精神を病むまで自分を責めてしまうことがあるのは、社会人になれない自分=生きている価値がない、というような自己否定の渦に巻き込まれてしまうからなのではないのでしょうか?
今回は「社会」や「社会人」という言葉を考察してみました。
あまり疑問を持たずに使う人が多いため、疑問を持ってしまったり、
これらの言葉に苦しめられている人は多いのではないでしょうか?
今度「社会人はうんたらかんたら」と説教じみた話をしてくる大人に出会ったら、
「あなたは社会人という言葉について真剣に考えたことはありますか?」
と聞き返してみましょう😊